mondo7’s blog

観光スポットや寺社巡りを写真で綴ります

忠臣蔵は徳川幕府が仕掛けた壮大な復讐劇だった!?「泉岳寺」

忠臣蔵徳川幕府が仕掛けた壮大な復讐劇」、「四十七士はなぜ泉岳寺に埋葬されたのか」。

これは、竹村公太郎さんがお書きになった『日本史の謎は「地形」で解ける』(PHP文庫)の中に出てくる項目の題名です。興味深いタイトルなので、手に取った方も多いと思います。

謎を解くキーワードは、泉岳寺の創建が「徳川家康」だったというところです。確かに、私自身も泉岳寺は四十七士が弔われている場所というイメージだけだったのですが、もともと泉岳寺徳川家康今川義元を弔うために建てたお寺だったんですね。

最初は、ホテルオークラの辺りに建築されたのですが、寛永の大火事で焼失したため、現在の場所に徳川家光が毛利家や浅野家たちに普請させて再建した所なんです。

ですから、普請した立場(浅野家の菩提寺)からご当主の浅野家の家臣である大石内蔵助ほか四十七士の墓碑があることに疑問が浮かばなかったのですが・・・確かに、家康が創建したお寺だったということを改めて考えてみると、・・・。

f:id:mondo7:20180219110337j:plain

この事件は、ご存知の通り、浅野内匠頭徳川幕府高家(こうけ)である吉良上野介を城内松乃廊下で刃傷沙汰にしたことで、幕府が浅野内匠頭切腹を申し付け、お家お取り潰しにしたことがことの始まりでした、確か。

そして、浅野家家臣の大石内蔵助ら四十七士が本所の吉良上野介の屋敷に討ち入り、首をとったことで、当主の仇を討つというのが「忠臣蔵」の筋書きでしたね、大雑把に言うと。

f:id:mondo7:20180219110549j:plain

今でも、毎年12月14日ともなると、歌舞伎や映画でも話題になりますが、竹村さんの著書によると、その筋書きに裏話があったと言うことなんです。

実は忠臣蔵は、徳川家が100年の恨みを晴らす目的で仕組んだものだったというのが竹村公太郎さんのご意見なんです。

その根拠とは、徳川幕府が、高家の吉良氏の暗殺を企む四十七士が麹町などの城下に潜入していることを見逃すことはあり得ないという点です。

もう一つは、松乃廊下での刃傷沙汰のあと、呉服橋門にあった吉良氏の屋敷を本所回向院の隣に移していることです。

呉服橋門といえば、北町奉行所が近くにあり、当時の警察のエリートたちの邸宅があった場所。吉良家の屋敷が呉服橋門であったとしたら討ち入りは不可能であったに違いありません。吉良家の屋敷を本所に所替えしたことも意図的だったのではないかということが理由です。

f:id:mondo7:20180219162816j:plain

大石内蔵助ら四十七士が討ち入りを遂げた結果、吉良氏は首を取られ、その息子達もそれが元で命を落とし、お家が断絶します。それに対し、大石内蔵助ら四十七士は切腹し、武士の本懐を遂げ、後に浅野家や家臣の家は許され、復活を遂げることになるのです。

お詣りした方はご存知ですが、泉岳寺は江戸の大木戸門の近くにあり、東海道に面していたことから、旅人たちが江戸に往き来する際に立ち寄るのに都合が良く、忠臣蔵の舞台として「泉岳寺」は全国に広がりを見せることになりました。このことは、徳川家にとっても都合が良かったということなんです。

f:id:mondo7:20180219110249j:plain

それでは、徳川家が吉良上野介の暗殺に加担したとしたら、そのワケとはなんだったのでしょうか。

室町時代からの名家であり、朝廷と幕府の仲介や調整役をとる立場にあった吉良家は、関ヶ原の戦いでも、大きな働きをしたことから代々高家という身分を与えられていました。しかし、徳川家にとっては、征夷大将軍世襲していく度に、朝廷との間で吉良家が介入することが目障りだったのではないかと言うことなんです。

また、愛知県にある矢作川の上流の岡崎に領地を持つ徳川家康と、矢作川下流に領地を持つ吉良家の間に確執があったのではないかと言うことも竹村さんは述べています。それは、吉良家の領地が矢作川河口にあることから、堆積した土砂で干拓がしやすく、農地が自然と広がっていく地形を持っていたため、家康にしてみれば面白くなかったのではないか、というワケです。その証拠には、後に、家康が天下を取った後、矢作川の流路を変えているのです。なるほど、面白い話ですね。 

f:id:mondo7:20180219110648j:plain

 竹村さんの「日本史の謎は地形で解ける」を読んだ後、あらためて泉岳寺にお詣りしてみました。下の写真は、吉良上野介の首洗いの井戸です。

f:id:mondo7:20180219110841j:plain

浅野家とその家臣である四十七士のお墓に詣りました。この門は、旧赤穂藩上屋敷移築門なのだそうです。

f:id:mondo7:20180219110941j:plain

浅野内匠頭の墓です。

f:id:mondo7:20180219111054j:plain

 四十七士の墓が整然と並んでいます。今も線香が絶えることはありません。

f:id:mondo7:20180219111237j:plain

 最後に、大石内蔵助の墓に詣りました。大石内蔵助さんにも感想を聞いてみたいところですね。

f:id:mondo7:20180219111324j:plain

 

www.sengakuji.or.jp

泉岳寺の場所はこちらです。